【20世紀指揮界のスタンダードを築いたフリッツ・ライナー】
ハンガリー出身のフリッツ・ライナー[1888-1963]は、アンセルメ[1883-1969]、クレンペラー[1885-1973]、フルトヴェングラー[1886-1954]、E.クライバー[1890-1956]、ミュンシュ[1891-1968]らと同世代にあたる名指揮者で、19世紀の名残であるロマンティックな陶酔よりも、20世紀の主潮である音楽の客観的再現に奉仕した音楽家です。ブダペスト音楽院でバルトークらに作曲、ピアノ、打楽器を学び、1909年にブダペストで指揮デビュー。ブダペスト歌劇場(1911~1914)、ザクセン宮廷歌劇場(ドレスデン国立オペラ)(1914~1921)を経て、1922年に渡米しシンシナティ交響楽団(1922~1931)、ピッツバーグ交響楽団(1938~1948)の音楽監督を歴任。その後メトロポリタン歌劇場の指揮者(1949~1953)を経て、1953年9月にシカゴ交響楽団の音楽監督に就任し、危機に瀕していたこのオーケストラを再建、黄金時代を築き上げました。
【「シカゴ響以前」のライナーの姿を刻印したドキュメントが正規マスターから復刻】
ライナーとシカゴ響とのRCAへのステレオ録音はそのほとんどが発売以来カタログから消えたことのない名演・名録音として知られ、SACDハイブリッド盤も含むリイッシューが何度も行われており、2013年には63枚組のボックスとしてソニー・クラシカルから発売されていますが、シカゴ時代以前のコロンビアとRCAへのモノラル~SP録音で正規音源からCD化されたのはごく一部のみでした。本録音は、そうした歴史的認識のギャップを埋める貴重なリリースといえるでしょう。
しかもソニー・ミュージック・アーカイヴが保管する金属原盤およびそこからトランスファーされた音源を使用、最新のテクノロジーで復刻されている点が大きなポイントです。
ディスクからの復刻は名手アンドレアス・K・マイヤーが手掛けています。
【ピッツバーグ響を全米トップ6にのし上げたオーケストラ・ビルダー】
1938年にライナーがピッツバーグ響音楽監督に就任した時、オーケストラの演奏技能は低下し、集客も悪く財政難にあえぐ二流のアンサンブルでした。ライナーは、優秀な奏者を積極的に雇い入れメンバーの刷新を図り、厳しいリハーサルを課してオーケストラの基本的な演奏水準を向上させ、並行して魅力的なプログラミングを組み、世界的なソリストを招聘して演奏会自体を活気づかせ、演奏会の回数を増やしてシーズンを拡大するなど、ごく短期間のうちにピッツバーグ響が全米の「トップ6」に数えられるほどに変貌させたのでした。アメリカの2大メジャー・レーベルの一つ、コロンビア・レコードと録音契約を結び、全米演奏家組合による大戦中の録音禁止時期(1942~44年)を挟んだにもかかわらずバッハからバルトークにいたる40曲以上の作品を録音しています。ライナー指揮下での充実した音楽づくりに参加するべく全米から優秀な奏者が馳せ参じ、戦時下にあってもオーケストラの演奏水準は極めて高く保たれ、のちにフィラデルフィア管に移籍したオーボエのジョン・デ・ランシーやホルンのメイソン・ジョーンズなどの名手もピッツバーグ響に在籍していました。